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-1級- Ch.Lafite Rothschild (シャトー・ラフィット・ロートシルト)

AOC:Pauillac(ポイヤック)
ボルドーのメドック地区ポイヤック村北端にあるシャトーです。
シャトー名、シャトーが作るワイン名が共に「シャトー・ラフィット・ロートシルト」です。このシャトーが作るセカンドラベルは、「カリュアド・ラフィット・ロートシルト」です。
発音は、「ロッチルド」または「ロートシルト」です。英語読みは「ロスチャイルド」ですが、ワインを呼ぶ際にはあまり使いません。
なお、もう1本の1級シャトー「シャトー・ムートン・ロートシルト」もロスチャイルド家ですが、ラフィット・ロートシルトを運営するロスチャイルド家とは別の系統です。
シャトーの運営はDBR(ドメーヌ・バロン・ド・ロートシルト)社が行っており、DBR社はシャトー・ラフィット・ロートシルト以外にも複数のワイナリーを経営し、多くのワインを作っています。

シャトーの敷地面積は123ヘクタールで、うち100ヘクタールがブドウ畑となっています。石灰質を基盤とする砂利質のテロワール(土壌)はメドック地区の中でも最上と言われています。
ワインの生産量は年間3万5,000ケース(42万本)ほどです。その中で1万5,000から2万5,000ケースのみが1級格付けの赤ワイン「シャトー・ラフィット・ロートシルト」として世に送り出されます。
第1級に値しないと判断されたワインはセカンドラベルの「カリュアド・ド・ラフィット」として出荷されます。セカンドラベルはファーストに比べると手ごろな値段(とはいえ高価)になっており、お買い得感があります。
ワインのブレンド比率は、80パーセントから95パーセントがカベルネ・ソーヴィニョン、5パーセントから20パーセントがメルロー、3パーセント前後がカベルネ・フランとプティ・ヴェルドとなっています。
実際のブレンド比率はその年のブドウの出来具合によって毎年変わります。

このシャトーの歴史は古く、「ラフィット」という呼び名は中世の農園の名称として14世紀の文献に登場します。
17世紀になり、シャトーラフィットの所有者となったセギュール家のジャック・ド・セギュールがワイン作りを本格的にはじめます。
ジャックの相続人アレキサンドルは1695年にシャトー・ラトゥール(5大シャトーと呼ばれるボルドーの1級シャトーの一つ)の女性相続人と結婚し、息子のセギュール侯爵(ニコラ・アレキサンドル)が生まれます。
セギュール侯爵は、ラフィット、ラトゥール、カロン・セギュールなど、現在でも1流のシャトーとして存続するシャトーを相続し、質の高いワイン作りに情熱を燃やします。その上、ワインの製造だけではなく、ヨーロッパ各国の上流階級へ販路を拡大していきます。
彼のワイン作りと販売は成功をおさめ「ぶどう園の王子」と呼ばれるまでになります。

当時ボルドーワインの多くはイギリスで消費されており、フランスの宮廷ではボルドーの名声は低く、専らブルゴーニュワインが愛飲されていました。
1760年、ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人は、ブルゴーニュの現在でも世界一の名声を誇る畑ロマネ・コンティを買おうしましたが、コンティ公に競り負けてしまいます(コンティ公が買ったので後にロマネコンティと呼ばれた畑です)。
競り負けたポンパドール夫人は、代わりの候補としてラフィットを勧められ、夫人はラフィットのワインを気に入り、ヴェルサイユ宮殿に持ちこみます。
ラフィットは宮廷でも評価が高く、ラフィットをきっかけとして、現在のように銘醸地としてのボルドー全体の地位がフランスの宮廷でも確立していきました。


「葡萄園の王子」セギュール侯爵には男子に恵まれなかったため、広大なシャトーは4人の娘に分割相続されます。
ラフィットは、ニコラ・マリー・アレキサンドル・ド・セギュールが受け継ぎますが、彼は大きな借金を作り、ラフィットの所有権は親戚のニコラ・ピエール・ド・ピシャールの手に移ります。
しかし、ピシャールは恐怖政治の時代にギロチン送りとなってしまい、ラフィットは数人の所有者を経た後に、19世紀前半にオランダ商人のヴィンテーンベルグ家に所有権が移ります。
その間も上質なワイン作りは続けられており、ナポレオン3世が開催した1855年のパリ万国博覧会では、ボルドーワインの公式格付において第1級格付けの筆頭として最高評価を獲得します。

1968年、ロスチャイルド財閥創始者マイヤー・アムシェルの5男でパリ在住の銀行家ジャコブ・マイエール・ド・ロスチャイルドは、ヴィンテーベルグ家から競売に出されていたラフィットを購入します。
これを機に、「シャトー・ラフィット」は、「シャトー・ラフィット・ロートシルト」に改名され、現在に至ります。